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*** 商品詳細 ***
☆★☆『鶴彬 全集』☆★☆
☆・編者:一叩人/附録付き・16頁B6判 ・1977年・474頁・:7,000円・約:A5判 ・本の状態:函・表紙・本文は普通・帯紙傷み汚れ大、補修有り ・発行:たいまつ社
☆・目次抜粋編者序(一叩人)………………………… 1
大正14年編 1925年
大正15年編 1926年
昭和2年編 1927年
昭和3年編 1928年
昭和4・昭和5年
昭和9年編 1934年
作品 連作「自由旗の下に」「春近し」
昭和10年編 1935年
思い出 川柳誌話(井上信子)……
川柳誌『三味線草』が掲載した弾劾告発文……
川柳誌『川柳人』への弾圧…………
中山仮面坊氏の日記から 昭和13年……
川柳時代誌発売禁止通達……………
平林たい子著『砂漠の花』第2部に書かれた鶴彬……
井上信子の日記から 昭和13年……
思い出の鶴彬…………………………
(渡辺尺蠖)………………………
(勝目テル)………………………
(井上麟二)………………………
(秋山清)…………………………
(小田無限)………………………
(中村秀子)………………………
*鶴彬略年譜と内外情勢(一叩人)……
*鶴彬に関する文献………………………
*編者あとがき(一叩人)………………
*索引………………………………………
人名索引………………………………
事項索引………………………………
☆・一叩人( いっこうじ) 1912-1999 昭和-平成時代の川柳作家。
明治45年生まれ。プロレタリア川柳作家の鶴彬(つる-あきら)の作品,関係資料などを収集し, 昭和52年「鶴彬全集」を刊行。その後絶版となっていた同書は,平成10年沢地久枝により 増補改訂のうえ再版された。平成11年4月9日死去。87歳。東京出身。法大卒。 本名は命尾小太郎。編著に「新興川柳選集」など。
☆・鶴 彬(つる あきら)1909年~1938年・プロレタリア文学の影響を強く受けた反戦川柳作家。 石川県河北郡高松町(現かほく市)生まれ。本名、喜多 一二(きた かつじ)。 佐高信は鶴を「『川柳界の小林多喜二』と言われた」と自著で紹介している。
☆・1909年1月1日、石川県河北郡高松町に、竹細工職人の喜多松太郎とスズの次男として生まれた。 翌年に叔父の喜多弁太郎の養子となり、1915年尋常小学校に入学し、1923年には高等小学校を卒業する。 その間、9才の時に父が死に、母が再婚して兄弟姉妹6人は離別する[。小学校在籍中から、 『北国新聞』の子ども欄に短歌・俳句を投稿し、1924年にはペンネーム「喜多一児」で「北国歌壇」 (『北国新聞』)に作品を発表する。1925年から川柳誌『影像』 にデビューを契機に、 多様な川柳誌に作品を寄せるようになり、1927年には井上剣花坊の家に寄ったり、初の川柳の評論 「僕らはなにをなすべきや」を『川柳人』に発表するなど、社会意識に芽生え始める。 1930年に金沢第7連隊に入営するが、3月1日(旧陸軍記念日)連隊長の訓辞に疑問を抱いて質問した事件に より重営倉に入れられ[3]、1931年には金沢第7連隊に『無産青年』を勧めたりしたいわゆる「赤化」事件により 軍法会議にかけられ、刑期1年8ヶ月の収監生活を余儀なくされる。 1933年に4年間の在営を終えて除隊後、積極的に執筆活動を行う。10月頃、井上信子推薦で東京深川木材通信社に 就職する。 次第に反戦意識を高めていた鶴は思想犯とみなされ、1937年12月3日に治安維持法違反の嫌疑で特別高等警察に 検挙され、東京都中野区野方署に留置された。しかし、度重なる拷問や留置場での赤痢によって、 1938年9月14日に29歳で世を去った。佐竹信はその死の唐突さから、官憲による赤痢菌注射説が噂されたと 指摘しているが、具体的な出典は述べられていない。 1972年、郷里高松町に句碑が建立。それにあたっては同級生の自民党代議士・小川半次など保守政治家の尽力があったという。
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